知ってた? ポルポト政権が市民に介入していったプロセス

バッタンバンにあるキリングフィールドの壁画
『The well of shadows
(影の井戸)』
僕は知りませんでしたが、こちらのツイートによると
1975年4/17はポルポト政権下の支配が始まった日だそうです。
1975年4月17 日から始まった
— そくあん🇰🇭夢見る多拠点生活マルチリンガル3姉妹ママ! (@sokoeunh) April 17, 2020
ポル・ポト政権下による支配日。
愛とは、平和とは、生きるとは。
当たり前の日常とは何か、
現代の私たちは人に対して傲慢な態度をとっていないだろうか、
分けろ、分け与えよ。一生尽くせよ、愛あるかぎり。
Picture credit:FB pic.twitter.com/pqKfJcLbNO
いつまでも忘れないように、という思いを持ってFacebookに写真を上げている方がいるんですね…。
さて、バッタンバンの北にワット サムロン クノンと言うお寺があります。

お寺自体は、敷地の広い普通の寺院でした。

お寺の掲示板には選挙の方法が載ってました。

けれど、カンボジアではポルポト政権時代、お寺は刑務所として使われていたそうです。
ワット サムロン クノンは、1976年5月、クメールルージュに包囲され、刑務所として使われるようになりました。
(英文で説明が書いてありました。)

寺の周辺では人が殺されたそうです。
(死亡者10,008人)

お寺の側に殺された人々の慰霊碑が建っており、ポルポト政権が行なった事が壁画として描かれていたので紹介します。
英語では『The well of shadows(影の井戸)』と言われています。

⚠絵とはいえ、かなり凄惨な描写も含んでいるため、不快に感じた方は即座に離脱して下さい。
特に、今の時期はCOVID-19対策で家に籠もっている状況なので、こちらの記事を見ていくと気分を悪くする恐れが高い事を、あらかじめ予告しておきます。
ちなみに、この慰霊碑の一部には、こんな子どもの落書きがありました。
お釈迦様?

この施設を見学して、慰霊碑に堂々と描かれた落書きと猫の親子だけが癒しだった事を銘記しておきます。

お寺は無料で観覧できますが、少し離れた場所にある慰霊碑には鍵がかかっており、近くにいた男が拝観料1ドル出すように言って来ました。
(もしかしたら、無料なのに、拝観料として1ドル取っているのかもしれませんが。)

慰霊碑の左に入口がありました。ここから入ります。

慰霊碑との位置関係。

この寺の壁画によると、
1975年4/24にポルポト政権(クメールルージュ)は人々にバッタンバン市を放棄するように命じたそうです。

4/17にポルポト政権が始まって、8日目の4/24に突然街を放棄しなければいけなくなった訳です。

しかも4/24は木曜日なので、平日にいきなり移動するように言われたのでしょう。
突然の強制引っ越しなんて酷い話ですが、この後、みんなで新しく村を作ったとあります。
しかし、人々は農業労働へと徴収されました。

そして、(強制労働ではあるものの)稲刈りして、生活していたようです。
さて、次の壁画では、一見するとカップルの結婚でめでたいようですが、これは
クメールルージュの将校により、
20〜40組のカップルが強制結婚させられているとの事。

そして、病院が閉鎖されたそうです。

更に、クメールルージュは全ての自転車を没収しました。遠くへ行けないようにしたのです。

不便ですね。
ここから一気に血なまぐさくなります。
クメールルージュは「もしお前を生かしたら利益がなくなるか。もしお前を殺したら利益になるか。」と言ったように、男性と女性で体系的に殺される者が選ばれました。

人々は夕方から明け方まで水辺でジュートを切る大変な仕事を強要されました。
そして、3-9歳のすべての子どもたちが両親から離されました。

子ども達が母親から離され、船に乗せられています。

僕が若い頃に読んだカンボジアの歴史本には、クメールルージュは、自分達の言う事を聞くように、小さな子どもの内から親元から離して、オンカーと呼ばれるクメールルージュの元締が育てていたとありました。
オンカーは子ども達の親がクメールルージュに反対していないか子ども達に密告するように奨励していたそうです。
人々はカンピング・プイダムの建設を余儀なくされて、労働者だった多くの女性が建設中にレイプされて殺されました。

カンピング・プイという貯水池がバッタンバン市の郊外にあります。

とても人海戦術で作ったとは思えない広さの貯水池です。
以下、更に凄惨な壁画が続きますが、いくつかをピックアップしました。
説明の英語が見づらかったですが、拷問されています。

何とも…。

尋問中にビニール袋を使って窒息させられたり、恐怖に陥らせるために逆さ吊りにされて頭から水に漬けられる拷問があった事が描かれていたり。

尋問時には、看守に言われた通りに犯罪をしたと自白せざるを得ない状況に追い込まれました。
僕にとって衝撃的な壁画の1つがこちらでした。

説明によると、ロンノル将軍と家族は拷問され、親は子ども達が殺される様を見るよう強要されました。
ロンノル将軍という人はクメール人で、アメリカの後ろ盾による傀儡政権のトップでした。

ロンノル政権は、ポルポト政権(クメールルージュ)によって倒されます。
その結果、この壁画のように、ロンノル将軍は目の前で子どもが宙を舞い、銃で撃たれるといった惨事が行われた…。
かなり残酷な壁画です。

ところがこのロンノルという人物ですが、事実は壁画の説明と異なり、共産勢力が迫る1975年4/1にカンボジアを出国し、ハワイへ逃れ、1979年にカリフォルニア州に移り住み、1985年に死去しています。
(Wikipediaより)
この寺の壁画に、
1975年4/24にポルポト政権(クメールルージュ)は人々にバッタンバン市を放棄するように命じたとありましたから、ロンノル将軍は先に自分だけ逃げて助かったようです。
なので、壁画に書かれていた親の目の前で子ども達が殺されたという記述について、ロンノル将軍自身については間違っているようです。
けれど、ロンノル将軍の奥さん子どもか親族の誰かが、こんな目に遭ったという事なのでしょう…。
女性は銃を向けられています…。

他にも、拷問などの描写がいくつか描かれていましたが、割愛させて貰います。
興味がある方は1度立ち寄ってみると良いかもしれません。
プノンペンのトゥールスレン虐殺博物館内では、COVID-19の感染があったりして、狭い密空間ですが、今回紹介したワット サムロン クノンは、青空の元で鑑賞できます。
場所はこちらです。
今回は、ここまでです。
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ここまで読んで下さった皆さん、お疲れさまです。ありがとうございました。
(^^ゞ

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