ドンと来い!アジア!
サエッキー

アジア 行ったり来たり備忘録 ('ω') 

知ってる?タイで1977年にあった 集団レイプ殺人事件

2020年06月09日
タイ 0



プロームピラーム郡殺人事件

最近、あちこちの国で貧困化の話が出て来ます。


ツイッターで回って来た、タイのナナ周辺の様子。




貧しくなって来ると、今後間違いなく
治安が悪くなります。


今後あちこちで治安が悪化すると思うと心配です。


けれど、タイは、いつでも治安が良かった訳ではありません。


COVID-19の影響で5/3までタイでお酒の販売が禁止されていましたが、
もともとタイの国鉄でお酒が禁止されているのをご存知でしょうか?



禁酒理由ですが、これは2014年にタイ国鉄の寝台車両で乗客のタイ人少女(13)が強姦、殺害され、寝台車担当の臨時職員のタイ人男(22)が逮捕された事件を受けての処置でした。


事件後の処置として、女性・子ども専用車が出来ました。



1977年にもタイのピッサヌロークで
『プロームピラーム郡殺人事件』という凄惨な事件がありました。
(苦手な方は、すぐにバックして下さい。)



個人的に、ピッサヌロークは、非常にノンビリした良い街だった印象があります。
IMG_20190220_075930_convert_20200515041150 (1)


川べりを散歩できて良いところ。
IMG_20190220_085217_convert_20200515041719 (1)

ピッサヌロークに興味があれば、こちらもどうぞ。



今回の記事を書く時に、
≫こちらの記事をグーグル翻訳でタイ語から日本語へ訳しましたが、意味不明な箇所がありました。

(間違った部分があれば、ご指摘頂けると大変ありがたいです。)


『プロームピラーム郡殺人事件』は、
14歳の少女(事件当時)が40人以上の男性にレイプされて、殺された事件です。


犯人たちは、
少女の死体をレールに置き、列車で轢かせて、証拠隠滅を図りました。



被疑者に当たる者は、すべて警察と血縁関係があったので、事件発覚当初、警察は被疑者を逮捕していませんでした。


この事件は2003年にタイで、
『プロームピラーム郡殺人事件』という映画にもなっています。



被害者の14歳の少女は、
身長155 cm、赤黒い肌で、短髪の丸顔でした。


茶色のシャツに白いスカートを着て、見た目は20歳くらいに見えました。



目撃者によると、少女は無賃乗車で捕まっていました。


「お願いだから、逮捕しないでください。」
と少女は涙を浮かべて訴えました。


けれど、彼女が受け取った答えはNo。


彼女は
「プロームピラーム」という小さな駅で降ろされると、空腹でよろめくばかりの有様でした。 



2人の若い男達が
「300メートルも歩けば、結婚式をしてる。そこへ行けば、食べる物がある。」
と言っているのを聞いて、
少女は見ず知らずの他人に付いて行きました。



女性はお金がなくて、空腹に我を忘れていたのです。


しばらく歩くと、
見通しの悪いトウモロコシ畑がありました。


10代の男は友達2人を電話で呼んで、少女をトウモロコシの林まで引きずり込んで、1人ずつレイプして行きました。



現場から、約100メートル先には結婚式の会場がありました。


式場にいた男達は、事態を知ると、自分達も我れも我れもと女性をレイプするために群がりました。



少女は待っていた男達に、次々にレイプされました。


彼女は助けを求めて泣き叫びました。


しかし、
その声が誰かに届く事はありませんでした。



彼女は強姦されて2時間経過しても、まだ7人の男性が後に控えていました。



「ご飯を貰えませんか?
お腹が空っぽなんです。」


女性は歩きながら、水たまりで汚れを落としたいと伝えましたが、次に
「ゴッドファーザー」と呼ばれる父親世代の男性グループが彼女をレイプする事になっていた。


「怖い。もう殺される…。」
 若い女性は助けを求めました 。



けれど、この貪欲な男は止まりません。


 男が女性の首を締めた時、少女は叫ぶ事もなく、終いには亡くなったようでした。


「この女の子を殺したのは彼だ。彼の手で絞め殺されたんだ。」


女性から助けを求める声があったため、恐くなった容疑者の2人は罪を認めました。


その後、
グループのゴッドファーザーは、他の者を威嚇しました。



事件隠蔽をはかるため、線路まで少女の死体を運ぶのを手伝わせました。



調査の結果、レイプされている時、少女は慈悲を求めていた事が分かりました。



しかし、男達は怒りで聞く耳を持たず、止まらなかった。


容疑者は、警察が調査している時も、手紙で目撃者を脅していました 。



「俺達に抵抗するなら、 小娘のように不運な目にあうだろう。」


当局が、少女の親を捜したところ、9/20に見つかりました。


両親は遺体を見て、
「娘は死んでいる」とつぶやきました。



この少女は、家から姿を消す前から、レイプされ妊娠していました。


その結果、赤ん坊が産まれました。


そして、住んでいた家から再度姿を消したのが8か月前の事です。



訴訟によると、
当局は合計10人を逮捕、さらに2人の警察官が懲戒処分で起訴される結果に終わりました。


今後の注意喚起というには、
あまりにも凄惨な事件でした…。


〈1977年という時代〉

世の中は、
東西冷戦の真っ只中でした。

1973年にオイルショックが起こり景気が冷え込むと、ベトナムではアメリカ軍がベトナム戦争から撤退し始めました。


そして、この頃のタイ国内は混乱していました。


「プロームピラーム郡殺人事件」との関連性は不明ですが、前年の1976年、殺人事件が起きたピッサヌロークとコンケーンの中間地点であるペッチャブーンで、少数民族のメオ族と政府の衝突がありました。

自治権拡充を目指す少数民族がタイ共産党に協力する形で武装闘争を繰り広げ、1976年6月24〜9日ペッチャブーン県の共産ゲリラ討伐で
政府側35名
ゲリラ69名の犠牲者発生
、このゲリラの大半はメオ族だった。


(⚠モン族についてのウィキペディアによると、メオ族は自分達の事をモン族と呼んでいるそうです。)
タイでの呼称「メオ(Meo)」はモン族からは蔑称として捉えられている。



こうした
戦争に近い混乱があれば、地域住民はとても穏やかでは居られなかったでしょう。

衝突のあったペッチャブーンからプロームピラームの駅まで212㎞の距離がありました。
(プロームピラーム周辺にある駅は、バンブンという駅だったので、現在では駅名が変更されているかも。)




そして同年10月に起こったクーデターの過程で、≫タマサート大学虐殺事件(血の水曜日事件)が起こりました。

(一部引用)
10月6日、学内で徹夜に及んだ左派学生、労働者らの抗議集会はこの日も引き続き行われた。



大学を取り囲む右派勢力は侵入を試み集会自警員が小銃で牽制、警戒する首都警察は右派群衆を制止し仲裁、治安維持に努めた。午前5時過、校内の運動場に爆弾2発が投げ込まれ学生9名死亡。

右派にはさらに職業学生センター勢力が駆けつけ総勢約2000人へ、バスを使い封鎖突破を試みるなか午前6時30分頃、集会自警員が発砲すると首都警官隊が応戦し銃撃戦に発展する。

午前8時10分、待機控えていた国境警備警察約1000人が首都警察に代わって校内に突入、同じ頃右派集団は校門付近のバリケード封鎖を破壊し侵入に成功、二方向から武装と火器でサッカー場にあった集会参加者をチャオプラヤー川際に追い詰めた。

抵抗を試みる者、フェンスをよじ登り敗走する者へ容赦ない暴行が加えられ、爆死、射殺、扼殺、逃げた川で衰弱し溺死など多数の犠牲者が発生した。

また右派集団暴徒は絶命した被害者へ執拗な蹴撲を繰り返し、針金を廻し樹木に吊し上げたり、バリケードの古タイヤに放火し遺体を放り込むなど阿鼻叫喚の様子となった。



午前11時頃に制圧は完了し、公式には犠牲者46名負傷者は167名とされ集会参加者の約1000人は反乱分子として警察に連行された。

犠牲者数は集会規模と惨事で破壊された校舎や設備の被害状況から発表された46名は少な過ぎ最低で100名かそれ以上と言われる。




血の水曜日事件もタイ版のウィキペディアを見ると、警察側のレイプがあった事が書かれていました。

酷い事件で、明らかに誰得な記事ですが、以上、個人的備忘録でした。


今回は、ここまでです。

ここまで読んで下さった皆さん、お疲れさまです。ありがとうございました。
(^^ゞ





にほんブログ村 海外生活ブログ カンボジア情報へ
にほんブログ村

PVアクセスランキング にほんブログ村






関連記事

気に入ったらシェア!

サエッキー
この記事を書いた人: サエッキー
東南アジアを中心に活動中。経験した事の備忘録です。
見やすい記事を目指します。
(´・ω・`)

コメント0件

コメントはまだありません