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サエッキー

アジア 行ったり来たり備忘録 ('ω') 

おじいちゃん先生との出会い

2019年05月22日
タイ 0

こんにちは。サエッキーです。

僕は地元の図書館では、よく
三好徹
という小説家の本を読んでいました。

この著者は、御年88歳

いわゆる米寿ですね。

おじいちゃんなので、僕はおじいちゃん先生と呼んでいます。

ウィキペディアで見た限りでは、2014年を最後に作品を出していないようです。

83歳で現役小説家って、凄くないですか?

おじいちゃん先生は、前回紹介した古川市兵衛についても書かれた『政商伝』の著者です。

前回の話のリンク

運鈍根の人の話


僕が何故おじいちゃん先生
「三好徹」を勧めるのか?

最初の出会いは、僕が古代中国の本を探していた時に、隣りにおじいちゃん先生の三国志の題名が見えた時でした。

三国志傑物伝(三好徹)

この本が、おじいちゃん先生との最初の出会いでした。

本では三国志の登場人物が何人も取り上げられて、エピソードが語られていました。

そんな1人に、蔡琰さいえんという女性が出て来ました。

「?」

最初、僕はまったく聴いた事もない人物なので、適当に読み始めました。

読み進む内に、いつしか涙が出て来ました。

とにかくこの蔡琰さいえんという人物、運命に翻弄ほんろうされてばかりです。

三国志を少しでも聴きかじった方は董卓の下に蔡邕さいようという学者がいたのを覚えていると思うのですが、その娘が蔡琰さいえんです。

この人は『才女の誉れ高く、博学かつ弁術に巧みで音律に通じ、数奇な運命を辿めぐった。』とウィキペディアにあります。

まず酷いのが、匈奴きょうどの騎馬兵に拉致らちされ、南匈奴の劉豹りゅうひょうに側室とされます。外国に連れ去られたんです。

ちなみに、お父さんの蔡邕さいようは、董卓に味方していたために、董卓の反対勢力に捕まって殺されています。

彼は、殺される前に、相手に自分の希望を伝えました。

何とか歴史書をこの世に残してから死にたい、と。

周囲の人間からは嘆息が漏れました。

蔡邕さいようならば、それが出来るに違いないと、誰もが学者としてのお父さんを認めていたのでしょう。

ところが、相手はこのお父さんに歴史書を書く事を許さず殺してしまいます。

一方、拉致された娘は2人の子を産みますが、連れ去られてから12〜13年後、曹操が匈奴から中国へ蔡琰さいえんを連れて帰る算段をつけます。

曹操は蔡邕さいようと親睦があったようで、蔡邕さいようの家系が絶える前に娘に跡を継がせようと考えたのです。

         曹操

しかし、蔡琰さいえんの子どもたちは南匈奴の劉豹の子どもです。

一緒に中国へ連れて行けません。

子どもから「どうして母さまは、私を置いて行ってしまわれるのですか?」
と言われた蔡琰さいえんは言葉に詰まります。

また、蔡琰さいえんは中国に帰れても、一緒に付き従って来た中国人の女性、友達みたいな存在でしょうけど、彼女達も中国へ帰れませんでした。

こうした体験が『悲憤詩ひふんし』という詩になって後世に残りました。

ここで、もう僕は詩を読んでいて泣けて来ました。

こんな事があっていいのか…。
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三国志というのは、古代の中国で三つの国が戦う物語ですが、2種類あるんです。

史実として記録されている話と、史実を元に書いたフィクションと。

この悲憤詩は、紛れもなく現実に起こった事だというのがやり切れません。

もともと蔡琰さいえんは嫁いだ先の夫が早世そうせいして、実家に帰っていました。

今や、彼女には夫も子どもも、父も、友もなくなりました。

帰国後は、曹操の配慮で同郷出身の屯田都尉とんでんとい董祀とうしに嫁いだそうです。

しかし蔡琰さいえんの悲劇は終わりませんでした。

その董祀とうしが法を犯して死罪になると彼女は聞きました。

そこへ曹操がお客さんを連れて通りかかりました。

曹操は客に、こちらが学者で名高い蔡邕さいよう先生の娘だと紹介しようとしますが、蔡琰さいえんの態度が常と違います。

「(旦那の)命を助けて下さい!」
しかし、曹操の答えは無情でした。
「すでに決定事項だ」

蔡琰さいえんはもう髪を振り乱して、曹操に向かって叫びました。

「王はたくさんの将軍を従え、その乗馬は万を数え、虎の如き兵は林のようにいます。だのに今、その1頭を出し惜しむのか!」

細かいニュアンスは違うかもしれませんが、蔡琰さいえんがブチ切れて曹操に放った言葉は、そのまま詩の形式に則っていました。

曹操も詩人として詩も文章も書いていますが、蔡琰さいえんの才能に感心したのか、彼女の夫を許します。

後に曹操の要求で失われた父の蔵書400編余りを蔡琰さいえんが筆書した際、誤字脱字は一字もなかったそうです。

蔡琰さいえんが夫を殺されそうになったのは、生涯に4度結婚した内の3度目の夫でしたが、ほどなくこの夫も病死しました。

僕は、この蔡琰さいえんのエピソードを始め、おじいちゃん先生の感受性、書き方が好きです。とても味があると思います。
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蔡琰さいえんについて、他の作家さんも書いています。

例えば直木賞作家の宮城谷昌光さん。
(ちなみにおじいちゃん先生も、直木賞作家です。)

けれど、おじいちゃん先生の書くものが1番僕にはシックリ来ました。ホント、泣かせる。

僕は一気におじいちゃん先生のファンになりました。
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ここまで読んで下さった皆さん、お疲れさまです。三国志に興味ないと、つまらないかもですが…。

次回は、僕が今の日本でおじいちゃん先生の小説を貴重と思う点について書いた話

日本から消えた物
です。


良ければどうぞ。


ありがとうございました。
(^^ゞ


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サエッキー
この記事を書いた人: サエッキー
東南アジアを中心に活動中。経験した事の備忘録です。
見やすい記事を目指します。
(´・ω・`)

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