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サエッキー

アジア 行ったり来たり備忘録 ('ω') 

作り話が信じられた時代

2019年06月15日
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不安定な時代の作り話

こんにちは。サエッキーです。

不安定な世の中になっていると感じる今日この頃ですが、不安定な中で信頼できる言葉を吐ける人は無茶苦茶貴重なんじゃないかと思います。

今回は日本の話ではなく、三国志に出て来る劉備玄徳について書きました。

劉備玄徳先生



『お母さんに玉露を買うような孝行息子』なんてのは作り話

三国志に出て来る劉備玄徳という人は、若い頃にむしろ折りをしながら、母に玉露を買って帰る孝行息子だったと紹介されます。

ところが、三国志の物語が話を進めると、劉備は曹操との戦いで連戦連敗した時に、奥さんや子ども達を置き去りにして逃げるシーンが出て来ます。

家族を置き去りにするのは戦争中なので仕方なかったと思うんですが、そもそも劉備玄徳という人の逸話として孝行息子なんて似つかわしくないんじゃないか?

そういう思いがありました。

僕の中で劉備というと、今でいうところの暴走族の親玉をしていたイメージです。

孝行息子とあまりにかけ離れてます。

ある本を読んでいて、こうした長年の謎に終止符が打たれました。

『三国志(宮城谷昌光みやぎたにまさみつ)』

という本に答えはありました。

ズラッと12巻あります。ほとんどの図書館にあるはず。

三国志 全12巻セット (文春文庫)


この『三国志』ですが、後漢の学者 楊震ようしんが、推挙した者から金十斤の賄賂を贈られた時に

「天知る神知る我知る子知る」
(あなたと私以外にも、知ってる人がちゃんといますよ、みたいなニュアンスですかね。

賄賂が横行していた時代に、そういう珍しい人がいたんですね。)

と言って断った話から始まるのですが、後漢の話が延々と語られます。

普通、三国志の物語は、後漢の時代でも、黄巾の乱が起こる辺りから始まります。

神様になった関羽先生
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しかしこの本では、確か3巻目が終わる近くで、やっとこさ三国志の主要人物である、曹操のお爺さん、曹騰そうとうが産まれて来ます。
(記述場所は未確認です。あしからず。)

最初読んでいて三国志を読んでいる気がしませんでした。

とにかく、黄巾の乱までの道のりが遠いタイプの三国志です。

僕は「曹騰」という字面を見て、やっとここまで来たか…、と感慨に浸りましたもん。

⚠そうだ!大事な事(?)を書き忘れた!

三国志ファンで、曹仁そうじんのファンという人を見た事があんまりないのです
(横山光輝の漫画「三国志」に出て来る曹仁なんて、副将の李典りてんが助言するのも聴かず、劉備軍の軍師徐庶じょしょの手の内で踊らされるイメージが強い)
が、この宮城谷昌光版の三国志を読むと、曹仁がかなり偉大に見えます。

三国志ファンには、ちょっと新鮮かも。ホント、牛金達を曹仁単騎で救うシーンの描写がムッチャ格好良い。)

この本によると、後漢を始めた光武帝は、前漢が滅びた原因として、受験による選別(科挙という難関試験に合格した者を政治に登用した事)が問題だったと分析します。

そんな訳で、光武帝が新たに考えた策が、親孝行な人物を登用しよう、という物でした。

結果、後漢の終盤は、政治が腐敗し、各地で群雄割拠が起きて来ます。

ここに、劉備玄徳が孝行息子とする話の出処があります。


後漢王朝では、孝行な人材でなければ登用されなかった。

そこで劉備のような無頼の人を、日本でいう知事みたいな地位に抜擢ばってきしようとすれば、孝行息子というエピソードを作る必要があった。

登用したい人材と現状の国の制度に齟齬そごがあると、その辺の擦り合わせが必要になったんですね。

それが物語になった時に、お母さんに玉露を買って来る孝行息子エピソードが、そのまま使われて現在に至る、みたいな。

何故か瓢箪ひょうたんを持ってる張飛先生
(たぶん名前を呼んで答える人を吸い取ります)
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不安定な時代に残った言葉

ただ、劉備が偉いのは、連戦連敗した中で、心の底から出た言葉を残しているところです。

それは、劉備が世話になっていた劉表という人物が没した後、曹操に追われる事になった時の事でした。

追われながら劉備の下には、周辺の住民十数万がついて来ていました。

ハッキリ言って、戦闘になれば足手まといとなる市民が十数万もいたら、戦闘どころか、自分の命が危険にさらされるのが想像つきますよね。

ところが劉備は、住民達を捨てて逃げ出せば難なく助かる状況で、
「大事を成すには人をもって大本としなければならない。」
と言って行軍を共にしました。

命の危険が迫っている中で、これだけの言葉を吐ける人間て、そうはいないでしょう。

宮城谷昌光さんが書いている別の本で「劉備のこのシーンを読むと泣きそうになる」と書いていました。

死んでなお仲達先生をジョギングさせた男
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書かれた本は、様々な人物について書いてある短編エッセイで、「大事を成すに、人を元とす」という題名だったはず。(本も処分して、うろ覚え。すみませぬ。)

ピンチな状況でいった言葉こそ、その人の本質が出るといいますが、劉備を頼りたく思った人の気持ちが分かるような気がします。

この言葉を吐けたからこそ、劉備は劉備なんじゃなかろうか。

不安定な中で魂魄こんぱくから放つ言葉には、それだけでひとり歩きする力があるとさえ思います。
(逆に、そこからヒットラーみたいな人も出て来る気がしますが…。)

作り話だと、いつかメッキががれるでしょう。

今日はここまで。

読んで下さった皆さん、お疲れさまです。ありがとうございました。
(^^ゞ

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おじいちゃん先生との出会い
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この記事を書いた人: サエッキー
東南アジアを中心に活動中。経験した事の備忘録です。
見やすい記事を目指します。
(´・ω・`)

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